疑似科学(エセ科学?)とか

恐ろしいことにこんな駄文でもよその人に見られていたようで,適当なことを書いてきたことを反省しています。どうやって外部に知られるんでしょう,ブログってそういう仕組みなんでしょうか?

前に「ままごとの泥団子を注意する大人のようだ」とかいう比喩を使っていた点につっこまれました。いや,血液型占いとか性格判断も含めて,多くのヒトが「泥団子」であることを認識していると思って勝手に書いたんですけどね。それと「傍目の泥団子」と「主観の団子」は異なるし。

この「エセ科学←→科学」の話って,「民俗科学←→西洋科学」の図式に似てるんですよね。周りにいろんな国の民俗科学を勉強しているヒトが多くいてそういう研究に触れる機会があります。特に辺境地域のヒトは今でも学校に行けないから,いわゆる西洋科学のたぐいを学ぶ機会がほとんどなくて,いまでも昔からの民俗科学みたいな感じで,あるいは両者のチャンポンみたいな感じで世界の仕組みを理解しているヒトがいます。

彼らの科学は,西洋科学と比較すると,まー原理とかの点で間違っているんですけどね,そういう理解であっても今の彼らの生活のなかでは一切問題ないんですよね。つまりヒトによって,社会によっては傍目の「泥団子」でもいいんですよね。むしろ,学校に行ったインテリで,村に帰ってきて新しいことを始めるやつの方が変わり者扱いされたり。

こういうヒトたちに「あなた間違ってますよ」っていう突っ込みを入れる境界が,ヒトによっては「占い」と「性格判断」ってことになるんでしょうけど。そこらへんの判断はヒトによって違うし,実際,「傍目の泥団子」が「主観でも泥団子」か否かを判別できることはそう多くないような。

例えば,アンケートを実施して血液型性格診断が正しくないことを示した実験みたいなもんをみたことがあるんですけど。これとか一見,正しくないことが証明されたようにも見えるけど,そもそもアンケートとかインタビューでヒトの性格という不定形で時に変化するものをちゃんと推し量れるのかということ自体疑問だし,両者で扱っている「性格」とやらが同じものという補償もない。単に両者が違うことを示しただけのような。この辺は傍目から「泥団子」と指摘することの意味のなさを見ているような気もする。

まー結局は反証不可能性?ということでエセ科学ってことになってしまうんでしょうけど,反証不可能な理論って,実は人文系とかにはたくさんあるわけで。

まー,エセ科学を推奨するわけで全然ないわけですけど,世の中には「傍目の泥団子」ってあふれてるんですよね。外部者としては,こういうことに関わっている偉い先生方には,人魂とかUFOとか占いとかのしょぼい仮想敵ではなくて,もっと本質的な問題に踏み込んで欲しいんですけどね。「今の科学ってどうよ?」とか。
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by shanggelila | 2007-03-10 15:50 | たわごと
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