「DNA」と「家」

「ボランティアの代理母を募集」

どっかのある病院が出産のための代理母になってくれる方を募集しているらしい。その方々が記者会見をおこなっており,代理母出産を希望する卵子提供者の女性と,その女性の思いに打たれたお医者さんが出席して,自分たちの考えというものを語っていた。

女性は涙ながらに,如何に旦那との子供が欲しいかを,医者はこのヒトたちの思いを叶えられない無念さを,もらい泣きしながら訴えていた。

が,正直僕にはこのヒトたちの思いに共感できなかった。多分,性の違い,立場の違いとかも影響しているのでしょうけど,それよりも現実味がないというかなんというか。

「子供を産みたくても生めないカラダ→代理母出産ということ」

僕は遺伝子を見たことがないことがない。多分,遺伝子は概念的なものだったと思うけど,高校くらいで遺伝子の本体はDNAであるみたいなことを習った(今は違うらしい)。じゃー,DNAを見たことがあるかというと,見ているのかも知れないけど,それを認知したかことはない。イメージ的には,二重螺旋のうえにAとかTとかの記号が乗っていて,それがC言語みたいな感じで設計図になるみたいな。後は,ぶったぎられたDNAが電気泳導にかけられてバンドを作ってる写真とかね。

つまり,DNAを実感したことはない。遺伝のことは実感できる。親子が似ているとかね。正直な話,あのお医者がよこしまやつで,なんかのインチキして,女性と子供が遺伝的な関係にないとしても,あの女性はそのことに気付くまい。良く解らないけど,実感できない存在としての遺伝子やDNAの繋がりに何を求めているのか?解らないのは,性の違いからなのか,立場の違いからなのか?それとも,30代くらいの世代ではDNAが実感できるほどに身近な存在になっているのか?

「家」

といろいろテキトーに考えていたら,それと似た事例が身近にもあった。「家」だ。うちの親が良く,「うちは長男をムコに出す気はない,家を継がなきゃいけないんだから」とか言ってた。が,うちの親自体は農家の6人兄弟の末っ子で,継ぐべきなにかが具体的にあったわけでない。が,こういう思いは親以外の祖父母とかにもあったらしく,似たようなことを言っていた。

家には昔,実体があったと思う。親が所有する動産,不動産,権力その他もろもろを引き継ぐことが「家を継ぐ」という行為であったろう。が,今はあるかどうか怪しい。かつて引き継いでいたもののほとんどは,貨幣で置換可能になっており,「家を継ぐ」という言い方にそぐわなくなっている。しかも,昔は多分,家を継ぐことは必ずしも遺伝子を継ぐことではなく,養子をとって家を継いだ話などはいくらでもある。じゃー,継がれていたものはなんなのか?いろいろ研究があると思うが,そこは問題ではなく,うちの親の世代ぐらいまでは,実体のなくなりつつある「家」観念を引き継いでいたことであり,多分,親も具体的には実感していなかったのではないだろうか?

なんか良くわかなくなってきたけど,つまり「家」感の終焉時の実感の喪失と,今の「DNA」感の実感のなさはどういう関係なんだろうか?ひょっとしたら,「家」概念に変わる「DNA」概念の時代が始まっている感じなのか?だとしたら,今後どうなるんだろう?

うわ,何か良くわかんないこと書いてるなー。
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by shanggelila | 2007-04-13 11:01 | たわごと
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