ディシプリン研究会とチャンポン研究会。

先日,研究会があった。その研究会はちょっと変わっていて,特に関連のなさそうなテーマが4つくらい集まって,それぞれの具体的な内容を討論するというよりも,それぞれのまったく異なるテーマが依拠している方法論の違いを考えようというちょっと無謀で,かつ面白そうなものである。

確かに先生らは楽しそうに参加している場面があるのだが,正直,学生らはあんまどのように取り組んでよいのかが解らない感じだった。そこで先週,提案されたのがもう少しテーマを選んでジェンダーならジェンダー,貧困なら貧困という形でテーマを選んだり,共通する地域として発表者を選んだりといったものがあっても良かったんじゃないのかという提案が学生からでた。その方がちゃんとした討論が可能であるし,議論もし易いということであった。

ある意味そーだなとも思ったがホントにそーかなとも思った。

テーマを選んだゼミは多い。社会学,人類学,農学とかそれぞれの講座が,おおよそディシプリンに基づいたゼミをやっている。私は自分の興味関心からいろんな研究会に出るようにしているが,実際にディシプリン・ゼミならばちゃんとした議論がおこわれているのか?私はそうは思わない。少なくとも発表内容と聴衆のディシプリンが一致しただけでは白熱した面白い議論にならない。

特にディシプリンゼミで多いのは,細部の突っ込みに終始する場面。その国での法律は・・・,その地域での民族構成は・・・,などと言ったことを聞いたあげく,発表内容とどうリンクして議論を発展させるのかを考えていない質問をするやからが多い。傍目で見ていると,そんなことは後で聞け,あるいは本で読めと言いたくなる。あんたの研究に関連した知識欲求を満たす場面ではないと言いたい。

後,やたら自分の研究を紹介するやつ。一応,質問はするのだが,その前置きとして自分の研究のことをやたらと語りだして結局,質問だけで5分くらいしゃべるやつが居る。結局,質問から逆算すると本人の研究紹介はいらないことが多いし,自分のことをしゃべるのは自分が発表者のときにやるべきだ。なのに,だらだらと「私の調査地では・・・」みたいな。

ディシプリン研究ではこういうやからが増える。もちろん,研究会でこういう突っ込みがあっても全然問題ない。が,決して議論の発展には寄与しているとは思えないし,その質問を通して発表内容への理解が深まる訳でもない。

もちろん,ちゃんと内容に沿って議論を進めることができるヒトも居るわけであるが,実はそういうヒトは,テーマが自分のディシプリンと一致しようがしまいが,それなりの態度で発表を聞くことが出来るし,面白い視点で内容に突っ込むこともできる。結局は研究会が面白くなるか否かはヒト依存ということになるのだと思うがどうだろうか?
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by shanggelila | 2007-06-04 11:11 | 研究
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